わりと可愛い顔をしている

ママチャリはすごい。

移動手段としてはもちろん、荷物を運ぶ手段としてもかなり優秀である。

我が家の必須ツールだ。

最近、後ろにつけている子供用椅子にも荷物を置けることが判明した。

そのおかげでママチャリの株がまたぐんと上がった。

ヤマハ、ホンダ、カワサキ、ママチャリ。遜色ない。


昔住んでいた家は坂の一番上にあった。

小学校へ上がるタイミングでその家に引っ越した。

保育園児の頃から自転車に乗ってぶいぶい言わせていた僕だが、引っ越し先のその場所は山を削って出来た住宅地で、小学校低学年の筋力では一思いに登り切ることが難しい坂がたくさんあった。


ある日僕が坂道を歩いて下っていると、不意に学ラン中学生が自転車で横を通り抜け、サァーッと坂を降りていった。

僕は目を疑った。

「あの人ハンドルから両手放してた!!」

その日から特訓が始まった。

とは言っても、いきなり急な坂道で両手放しのまま位置エネルギーに全てを任せ降りていくアクロバットが出来る訳もなく、

広くて車もあまり来ない平地の道路で練習した。

最初はふらふらしていたが、徐々に徐々に両手を放せる距離が伸びていった。

いつの日か!という思いがあった。


しかしある日、僕はケガをした。

下校の最中、件の両手放し坂道を登っている時だった。

その坂は下から見ると左に大きくカーブしていて、カーブの内側は段々に田んぼが並んでいた。

僕はふざけて田んぼのあぜ道に移り、自転車を押しながら帰っていた。

坂道と田んぼの間は深めの溝で仕切られていた。

溝は時々人が通る用のコンクリートブロックがあるだけで、カバーも何もない状態だった。


これ以上は行き止まりで進めないというところまで来て、僕はブロックを渡って道に戻ろうとした。

しかしあぜ道の雑草でタイヤがずりっと滑った。

ハンドルを握りしめたまま僕は、自転車に引っ張られる形で溝に落ちてしまった。

しかも運がないことに、ブロックぎりぎりで滑り落ちてしまったため、

ブロックの上面で顎を強打した。ボクシングのアッパーパンチを想像してほしい。


一緒に帰っていた友達が引っ張り上げてくれ、僕は痛さや情けなさで泣きながら帰宅した。

血が出ていることは分かっていたので、テッシュで顎を抑えた。

しかしいくらテッシュを使っても血は止まらなかった。

そのうち母親が帰ってきたので泣きながら事情を説明した。

血が止まらないのを見て、母親は僕を病院へ連れて行った。

結果、9針縫うことになった。


それから僕はその坂道が嫌いになった。

のんびり下るようになった。

坂を通るたびに顎が痛くなる、気がした。

その頃の学校での集合写真を見ると、僕の顎には厚めのガーゼが貼られている。

せっかくなのでアルバムを引っ張り出してきた。

我ながら守りたい笑顔をしている。


顎の傷跡は消えていない。

(傷を見せようとして自撮りしたら生えかけのヒゲがブツブツして気持ち悪かったので写真はありません。ちなみに傷跡の部分は毛根が死んだのかヒゲが生えてきません)

今も坂道を通るたび、ケガをした時のことを思い出してしまう。

痛さ怖さは忘れられないのかな思う。

最近よく子供と自転車で出かけている。

僕が先導して走っているが、そわそわしてつい振り返ってしまう。

田んぼのあぜ道で自転車押すようなアホじゃないので、もうちょっと信用してあげたいなと思う。

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