死んだ後、閻魔大王が目の前に出てきたとして、自分はどんな話をするのだろうか。
閻魔大王は嘘をついた人間の舌を引っこ抜くらしい。
いやでも嘘をついた記憶なんてないぞ。
僕は潔白だ。
嘘は記憶に残らないと思う。
どういう形であれ、嘘は取り繕うものだ。
それ以上それ以下でもなく、自分の中の整合性だけ求めて発言する。
嘘は「正しさ」という感情、「正しさ」という自分に対する整合性にだけ重きを置かれた、とても画一的な発想だ。
嘘が上手な人がいる。
嘘が上手な人はまず納得できる理由を用意してくる。
「今日は鯖の煮付けを食べた」
これは僕の嘘だ。僕は今日サンドイッチしか食べてない。
「日曜日にテレビで鯖漁の特集やってたからそれからずっと鯖食べたかったんすよ。やっと今日食えましたわ。大根おろしはめんどくさいんでやってないです。」
これももちろん嘘である。
しかしぱっと見、上と比べると鯖を食べたことだけが嘘に見えるが、この発言の中には嘘が3つある。
「日曜日にテレビで鯖漁の特集やってたからそれからずっと鯖食べたかったんすよ。」
日曜は世界の果てまでイッテQ!を観ていた。鯖は出てこなかった。
「やっと今日食えましたわ。」
前述の通り、食べてない。
「大根おろしはめんどくさいんでやってないです。」
別に大根をおろすのは苦じゃない。料理をおいしく食べるための作業である。
こういう風に準備出来る理由をあれこれを、上手な人は上手に用意できる。上手にね。
上手というのは自然に出来るということであり、自然に嘘が出てくるというのは考えなくても嘘が出てくる状態を指し、つまり嘘はなんとなくでも言えるものである。
つまり今なんとなく「嘘ついとこ!」と思えば、嘘はつける。
しかしその時だけしか考えてない、自分の思いとは関係ないものなのであれば、別に「この時ああ言ったなあ」なんて思う必要はなく、その程度の感情でなので、心に止めることもなく、そうすると記憶には残らない。
深く考えているわけではないからね。
その時その時を乗り越えたいがためだけに言葉が出てくるというのが嘘である。
正しくありたい、ではなく、正しい!正しいだろこの話!という独善感だけで嘘は成り立つ。
そういう人間にはなりたくないなあとは思うけど、どんな内容か覚えてないだけで嘘はついたことあるし、閻魔大王になんて嘘つこうかなって考えてしまっている。
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