悪夢にも人を選ぶ権利があるのではないか。
幸せで元気な人、不幸せで元気じゃない人、二種類の人がいたとします。
元気な人が悪夢を見たとする。
例えば怪物に追いかけられて死にそうになりながら逃げて、最終的にビルから飛び降りなければいけない。
もちろん夢だと気付かずに必死で逃げるから、焦る。怖い。
ビルから飛び降りた瞬間、「うわ!」と飛び起きる。
息づかいは荒く、冷や汗をかいている。
状況が理解できずに、ここはどこだ、なんて思う。
しかしだんだん頭が冴えてきて、あ、さっきのは夢だと理解する。
「なぁんだ、良かった」なんて背伸びしながらおはよう。
なんなら隣で寝ている恋人を起こして、こんな夢を見た、なんて話すかもしれない。
朝からイチャイチャ。流れで1発おっぱじめるかも。減点だ。帰れ。一生悪夢にうなされてろ。
今度は元気がない人が悪夢を見る。
プッチンプリンがうまくお皿に盛れない。
プッチンしても出てこない悪夢だ。
いくら振っても、いくら叩いてもプッチンプリンは容器に居座る。
そのまま食べれば良い、なんて考えには至らない。
なぜなら悪夢だからだ。
そのうちハッと目が覚める。
なぜだか冷や汗かいてるし、起きた瞬間ため息が出る。
もちろん恋人なんていない。せんべい布団に一人。
時計を見て、もう仕事の準備しなきゃ、と嫌々布団から這い出す。
寝巻きを脱いで、しわくちゃなズボンを履こうとしてよろける。
あっ、書いてて悲しくなってきた。
悪夢にも人を選ぶ権利がある。
昔の悪夢は、悪魔によってもたらされているものだと考えられていた。
ということは悪魔の仕事は悪夢を見せることだ。
ひいてはその仕事とは、人にダメージを与えること。
そこで元気がある人、ない人、どちらに労力をさきたいか、を考えると、やはりない人ではないか。
元気がある人はハリウッド映画のような悪夢を見せたところで、現実に戻ったら幸せが待っている。セックスだって始まる可能性がある。
一方元気がない人であれば、プッチンプリンで最悪な一日のスタートを切らせられる。なんならプッチンプリン食べながら悪夢を見せられるだろう。片手間もいいとこだ。許すまじプッチンプリン。
という風に、悪魔の労力を考えるとまず間違いなく、元気がない人に悪夢を見せた方が効率がいい。
中には「元気があるヤツに見せないと張り合いがない」と考えているワーカーホリックがいるかもしれないが、一緒の給料なら楽したいと考える悪魔は多いはずだ。
そう、現実世界と同じように。
現実は悪夢なのかもしれない。
チャンチャン。
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