標高678.9mで水曜どうでしょうを思う

思いつきで山に登ったら、水曜どうでしょうの制作の思いに触れたという話。


子供は学校、嫁は仕事で、完全にひとりぼっちの休日を過ごしていた自分。

午前中は家でゴロゴロしていたが、やることが無さ過ぎてなんだか気が滅入ってきてしまった。

どこか出かけようかとグーグルマップを開く。

すると「大原野森林公園」なる場所を見つけた。

地図で見る限り、けっこう広そうな公園だった。

これは暇つぶしになるかもと思い、さっそく出発することにした。

そこで僕は、水曜どうでしょうの制作意図に触れることとなった。


【13:30】

大原野森林公園に到着。

大原野森林公園は京都市のHPによると「山そのものを公園にする」というコンセプトのもと整備されている公園だそうだ。

入り口の案内板には園内マップと貴重な動植物の写真が並べられていた。

マップをじっくり見ていると気づいた。

公園の端っこから、どうやら「ポンポン山」なる山に繋がる道があるらしい。

このまま、ただただ公園散策する28歳既婚男性をお届けするのも良かったが、

せっかくなので頂を制覇してやろうという男らしい感情がインドアおじさんの中に芽生えた。

ということで目的地をポンポン山、山頂に設定。

そうして無計画な山登りがスタートした。

園内に入ってすぐ立派な案内所がお目見え。

しかし曜日の関係で今日は閉まっているようだった。

案内板によると道中にはトイレがないそうなので、先に行っとこうと思ったらシャッターが下りていた。

やべえ、ちびりながら歩くしかねえと覚悟したが、写真左下の張り紙を確認したら凍結防止のためにシャッターを下ろしているだけだそう。

確かにシャッターは鍵が閉まっておらず、無事準備万端。

案内所周辺にはいくつか炭焼き小屋があった。

鉄腕DASHで見たやつだ!とテンションが上がった。

園内の詳細なマップを見つけた。

このマップを見て、下の赤線ルートでポンポン山を目指すことにした。

理由はポンポン山に繋がっているから。それだけ。

(京都ってクマいるんだ…)と思った。


【13:45】

案内所を抜けて、園内へ。

山登りの始まりである。

ひらけた場所に朽ち果てた人工物がポツポツと見える。

だいぶ昔に閉園になった動物園のよう。

自然の中にある朽ちた人工物って情緒あると思いませんか?

僕は思います。とても好き。

橋を渡って突き進む。高知県出身の男をなめるなよ!という、京都に対する力強い対抗意識が芽生える。


【13:50】

出発から5分。

後悔し始める。

写真だと分かりにくいけど、かなりの急勾配。

息切れと太ももの張りを感じる。

インドアおじさんの限界は早い。

僕が選んだルートは「西尾根ルート」。

尾根を進んでいくので普通の山登りとは違い、道にアップダウンがある。

「道」の定義に疑問を持ち始める。


昔、仕事で5kgのカメラと8kgの三脚を担いで山を登った時のことを思い出す。

その時は同行者と担ぎ手を交代しながら登ったが、行程の半分はクソ重いもの持ってたわけだし、それに比べたら今回は軽装。楽勝楽勝。

そう自分に言い聞かせながら額の汗を拭う。

水筒だけは持って来ていた自分を褒める。

道中はツツジの花が咲いていたが、見る余裕なんてない。

きつすぎる坂道にロープが張られていた。

ご丁寧にストッパーがわりの結び目をこしらえて。

これを張った人、好き。恋。

時折登場する、番号つきの看板。

公園に着いた時点で携帯は圏外なので、案内所で撮った番号つきのマップと看板を見比べながらおおよその位置を把握するしかない。

ちなみに園内から出てポンポン山までどれぐらいの距離があるかは調べなかったので分からない。

文明は敗北した。

しかしふと気付く。

昔の人は山を歩いて隣の街を目指していた。

だが、現代は山をぶち抜く「トンネル」という技術がある。

徒歩で汗水流しながら向こう側を目指さなくてもいい。

文明の勝利だ。

荒木、トンネルの偉大さを知る。

野生のリスに出会った。

野生は初めて見たのでテンション爆上がり。

mihimaru GTが脳内に登場する。

帰ってきてから確認すると、上と同じような写真が4枚もあった。

人生で初めて生で見た芸能人をツイートする人のテンションと一緒。


【14:15】

だいぶ登ってきたのか、木々の隙間から絶景が見える。

しかし木が密集し過ぎて「わあ」となるほどではない。

植物への薄暗い気持ちが渦巻く。

突然現れた、矢印のみの看板にどぎまぎする。

何を伝えたいのか。

これだった。今年は終了したそうです。

wikiによるとフクジュ草は、春を告げる縁起のいい植物だそう。

確かに何にもない。

僕はYouTuberの動画をあまり見ない人間ですが、

もし金髪細身、おかっぱイケメンYouTuberがここで

「はぁーい!どうもこんにちはぁー!」とかオープニング撮ってる映像見たら笑ってしまうと思う。

「今日はね!ポ…ポンポン山?ポンポン山っていう山に登ってみようと思いまぁーす!」

これは絶対バズる。ぜひ誰かチャレンジしてほしい。

室内で完結するだけの人間になってほしくない。

というかYouTuberならやってる人いそうだな。


そんなことを考えながら1人にやにやしつつ歩き続ける。


【14:25】

ついに園内マップの端っこ、「リョウブの丘」に到着した。

ベンチ以外何もなかった。

ここから、目的地までの距離が分からなくなる。

そんな遠くもないだろうと思いつつ、けどもしかしたら暗くなって帰れなくなる可能性もあるなあと胸がざわつく。

しかしここまで来たのだからと、開き直って先に進むことにした。

そん時(子どもの迎えの時間に間に合うかどうか)はそん時じゃ。

ただ電話番号、圏外だから意味なくない?と思った。


【14:30】

トラップみたいな倒木を乗り越えつつ進む。

ひたすら無心。

自然を愛する男、みたいな尊い感情はない。

ただ道らしきものがあるから足を動かしているだけ。

僕、もうすぐ30歳なんすよ。

結婚してて子どももいるんです。

こんなことしてていいのかな。

ほんとに道か?

不安しかなかった。


【14:35】

あ!

なぜか地面に落ちているポンポン山の看板を発見。

山頂は近いのではないか。

そしてやけに人工的な階段をあしらえてある場所に辿り着く。

この先はもしかして!


【14:45】

わ!

ひらけてる!

ぽい!

ぽいぞ!

ということでポンポン山、山頂に到着。

(看板には標高679mと書いてますが、別の看板には678.9mと記載されている。細かい数字の方がなんかそれっぽいので採用。誤差誤差。)

3kmの道のりを約1時間で踏破した。

ポンポン山、正しくは「加茂勢山」。

地面を踏む足音が「ポンポン」鳴ることからポンポン山と呼ばれるようになったそう。

確かに、普通の土とは違う感触だと思っていた。

しかし僕の感覚としては「ボフボフ」。クッション性の高いマットレスみたいな感じ。

ニトリかよ。

とても見晴らしの良い場所だった。

山頂から見える景色の解説地図。

さっきの写真は京都市街地方面。

分かりにくいが、写真中央付近に京都タワーが見える。

(京都タワーひっく!)と思ったが、よく考えると標高678.9mはスカイツリーより高い。

改めて文明の敗北を感じた。

こちらは大阪方面。

薄ぼんやりした空気で見えづらいです。

亀岡方面のはず。山ばっか。

20度ないのに汗だく。


ということで目的のポンポン山、山頂に辿り着いた。

しかしここで思う。

この山登りにチャレンジするにあたって、

最初から「これはブログのネタにしよう!」と考えていた。

なんなら登りながら、写真を撮り、その時々思ったことをメモし、ストーリーを考え、記事の構成まで頭の中で構築していた。

しかし到達した山頂。

確かに見晴らしは良いが、それ以外特筆することは何もない。

例えば「やりました!ついに山頂につきました!達成感が半端じゃない!きれいな景色も見れてサイコー!次はどの山に登ろうかな!?」とまとめることも出来ますが、

正直(何回も登りたくはないな)と思ってるので嘘はつきたくないし、

かと言ってそれ以外で無理やりオチを作るのもお寒い。

どうしたもんか。


と思った時、ふと頭に水曜どうでしょうの映像がよぎった。


水曜どうでしょう。

鈴井貴之、大泉洋が出演しているの旅バラエティ(的な)番組。

原付で日本を縦断したり、マレーシアのジャングルで動物を観察しようとしたりする、過酷な企画ばかりのアレ。

その番組を、僕は大原野森林公園に出発する直前までNetflixで観ていた。

時には企画の根幹を否定するぼやきを吐き、時には主旨から大きく外れた展開を放送したり、いきあたりばったりなあの番組。


そして今日、「家にいるのがいやだから」と大原野自然公園まで出向き、

「ポンポン山?なんだそれ。行ってみるか」と出発し、

「しんどい。もう歩きたくない」と思いながら歩を進め、

「山頂でやることなんもないわ」という結論に達する、いきあたりばったりな自分。

これがちょうど重なって、脳裏に浮かぶ映像。


水曜どうでしょうは企画の最後に、特にオチをつけたりまとめたりはしない。

黒い背景に大きな白文字で「終了」や「完」という文テロップを映し、「ジャーン!」というSEを流して終わる。

編集で無理やりオチを作ることだって出来る。映像とコメントをなんとなく繋いで感動路線を表現することも可能だ。

しかし、水曜どうでしょうはそれをしない。


これは明らかに制作側の意図である。

企画の終わりを特別飾ったりせず、そのまま放送する。

嘘をつきたくない、自然な言動だけをカメラを通して視聴者に届ける。

時にはケンカをしたり、嫌味を言う。

それがうっとしいと思う人もいるかもしれない。

しかし、そういう姿をありのまま見てもらうという意図。

それが人間味溢れる、水曜どうでしょうという番組の魅力です。


思いつきで山に登ったインドアおじさんの春。

僕も今回は水曜どうでしょうに倣って、「特別何もしない」というまとめ方でこの記事を終わらせていただきます。

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