僕は字が汚い。
小学生の頃、親戚の教師に綺麗に書くよう散々言われたが、治らなかった。
というか、僕としては本気で綺麗に書いているつもりでも、他の人から見るとそれは汚い字だった。
硬筆も苦手だった。
真面目な毛筆も苦手だったので、我流で崩して達筆風を目指した。もちろん挫折した。
パソコンは誰が文字を打っても綺麗なフォントになるのが良いと思う。
フォントは偉大だ。
「字が綺麗な人は頭が良い」と昔聞いたことがあった。
ただ、今検索して調べてみたら「実は、字が汚い方が頭が良い」という文言が踊っていた。
しかしこの記事は「字が汚い方が頭が良い」という方向で草稿をまとめていないので、
ここでは「字が綺麗な人は頭が良い」という体で話を進める。
なのでこのあとの文章は前提から揺らいでいることをご容赦いただきたい。
いいじゃん。それぐらい許せよ。
「字が綺麗な人は頭が良い」と昔聞いたことがあった。
そして僕は字が汚い。
ということは僕は頭の悪い人間ということになる。
頭が悪い人間であるからしてタバコを吸い、酒に酔い、無職である。しかも既婚で子供がいる。
社会の「ダメ」を濃縮したような生き物であるという自負がある。
わはは。
話は変わるが、実家の犬がとても賢い。
2~3歳の頃に他所から譲り受けた犬だ。
貰ってすぐはよそよそしいというか、びくびくしながらごはんを食べていたが、今はすっかり慣れて、人が近寄ると尻尾を振って寄ってくる。
しかもおすわりやお手、待てをすぐに覚えた。学習能力が非常に高い。
僕はこれまでの人生で「待て」が出来る犬で出会ったことがなかったので、
初めて成功した時はえらく感動した。
犬は賢いと頭では分かっていたが、改めて「犬ってかしこ賢いかしこちゃんやん!」と思った。
しかしこの関係性を遠目で見てみると「頭の悪い生き物」が「頭の良い生き物」に「命令」していることになる。
不健康極まりない相関図だ。
日曜夜9時からTBSでやっている社会派ドラマのようだ。
きっと実家の犬が人間であれば字は綺麗だろう。
タバコも酒もやらず、大卒で銀行勤めだろう。
そこでは上司との軋轢もあるだろうが、同僚の支えやバイタリティに満ち溢れた行動力で次第に信頼を勝ち得、困難に打ち勝ち、そして確固たる自分の居場所を創造していくことだろう。
最初は打ち解けられずにいた女性の職員とも、顔を合わせ、言葉を交わすうち、次第に心惹かれ、しかし後輩女性職員からのアタックもあり、若干の恋愛交差点右往左往しつつ、ただそれでも自分の納得のいく結果を見出し、そして成就するだろう。
取引先の傲慢な態度を取る社長に無理難題を押し付けられ、前述の上司には見放され、「ああ、俺この業界向いてなかったのかな」とか。
会社の屋上で黄昏てみたりとか。
そこに「ほれ」と、同僚がコーヒーを持って突然現われたりとか。
「しっかりしろよな、お前は俺らの期待の星なんだから。サポートもするし」とか。
「まじかよ」なんて笑いながら、頼もしく思ったりとか。
会議の中で重役を動かす起死回生の案を出し、熱意を持って説得をし、嫌味な上司を黙らせて、取引先の傲慢社長をも納得させ、莫大な利益、または将来性のある大きなプロジェクトの第一歩を踏み出すだろう。
そうだろう。
きっと。
ちなみに実家の犬はメスです。
そういうことを考えているうちに深夜0時を過ぎてしまったのでなんだか悲しくなり、そのうち眠りについた27歳の早春です。
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