2018年11月7日、僕は無職になった。
一昨日バイト先から「もう仕事ないです」と言われた。突然すぎて、半笑いで話を聞いていた。業務終了後、やけ酒を飲んだ。
心底、社会の世知辛さを感じている29歳の秋である。
アレコレと考えて、胃も痛くなった。今も痛い。
それもこれも、もとを正せばASIAN KUNG-FU GENERATIONのせいだ。
自分には人とは違う特別な才能があると信じていた中学生の頃、彼らに出会った。
現在では分かりやすくてマイルドになった印象のある彼らの音楽性だが、当時は激情まっしぐら。
特に純文学小説の言葉を切り取って貼り付けたかのような、乱暴とも言える歌詞センスに僕はどハマりした。
周りにアジカンを聴いている人間が少なかったという理由もある。これは俺しか聴いていない、俺だけが特別なものを知っている、という優越感が大いにあった。
そうして立派に選民意識が芽生えた僕は高校生の時に、ギターを始めた。もちろんアジカンの曲を練習した。高校生の終わり頃に、曲作りへ手を伸ばした。歌詞は自分でも分かるぐらい彼らの影響を受けていた。友達に聴かせると「メロディーがアジカンっぽい」と言われた。僕の音楽性の奥底にASIAN KUNG-FU GENERATIONが深々と突き刺さっていることを感じた。
短大へ進み、軽音楽部へ入った。同級生たちとバンドを結成して、オリジナル曲も含めていろいろ演奏した。髪をぼさぼさに伸ばして、視力はたいして悪くないのに眼鏡デビューをした。今でも裸眼で0.5ぐらいなので、本当に目の悪い人に眼鏡を貸したら怒られる。「この程度でかけるな!」と。
その見た目の変化も、ASIAN KUNG-FU GENERATIONのボーカル、後藤正文を真似てのものだった。
普段は「これが俺のオリジナリティだよ?」という顔をしていたが、多分周りにはバレていたと思う。
そうして音楽に浸りまくって、卒業後は音響の会社に就職。さまざまな現場で多種多様な音楽に出会った。盆踊りの仕事もあれば、紅白歌合戦に出場した演歌歌手のPAも務めた。
しかしそれでも、邦楽ロック、ASIAN KUNG-FU GENERATIONが自分の中のメインストリームだった。いつも心のどこかで、そんなバンドの音響がしたいなぁと考えていた。
音楽ライターの仕事も経験した。得意な分野はもちろん邦楽ロック。
上から与えられたテーマの中に、アジカンの曲を混ぜていた。
あれは、趣味と仕事が人生で一番合致した瞬間だった。楽しかった。
しかし、前述通り、仕事がなくなった。
僕に残ったものは、音楽にまみれた10年分ほどの職務経歴だけだ。
この業界は潰しが利かない。音楽だけをやってきた人間は、他の職種に手を伸ばすのが大変だ。普通の会社員のようなことができない。まだ20代の僕でさえ、他の人と比べて約10年分の差がある。同世代の役所勤務をうらやむこともある。
そうして生きてきた人生に、後悔があるか、それともないのかは、今は分からない。
ASIAN KUNG-FU GENERATIONから始まり、現在無職の僕の手元に残った、音楽。
それが今後どうなっていくか、自分なりに考えながらやっていくしかないと思っている。
今日も自宅でギターを担いで、Cadd9を鳴らす。
そして心の底から「仕事をくれ」と歌うんだ。
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