言葉尻という単語はエロいと思う

文章を書く仕事をしていて、職業病を発症した。

「〜ことができる」と「〜になります」に対する違和感だ。

例えば「遊ぶことができます。」

これは「遊べます。」に言い換えられる。ちょっとスマートになるね。

「こちらになります」は「こちらです」に変えられる。

こうすると、「〜になります」はちょっとへりくだり過ぎちゃう?という印象になる。

こういうのは、書き言葉はもちろんのこと、テレビのナレーションでもよく聞かれる。

いや、怒っているわけではない。なんか気になるってだけ。


音楽を作るのが趣味の僕にとって、歌詞を考える作業はそれほど苦ではない。

そこそこの経験があるので、書こうと思えばそれなりにすぐできる。


音楽理論的?な視点から言うと、歌詞をうまく書くには、まず文字数を気にしなければいけない。

演歌が分かりやすいかもしれない。ワンフレーズが確か10文字〜15文字。確か、ね。

極端な話、5秒のフレーズに100文字の歌詞はつけられない。

あとは歌詞の文脈。「冷たい雨が降る日」のあとに「晴れ渡る空は気持ち良いな」という歌詞が登場するような、状況説明に矛盾があるのはおかしい。

言葉尻もそう。宇多田ヒカルの「Automatic」の歌詞の切り方について書いた記事を昔読んだことがある。

聴けば分かるが、小節の頭に言葉の最後の文字が来ている。

こういうことを気にしながら歌詞は書くものだ、という意見は時々見かける。


しかしそんなことを気にしていて、宇多田ヒカルの「Automatic」は大ヒットしたのか?

あの独特な言い回しが新しさを生んでいるのではないか。

という考えから、僕自身の作詞はそういうことを気にしていない。

言いたいことを乗せたいメロディに乗せるし、文字数も自分の納得がいく範囲で気にしていない。

特に、文脈については完全に無視している。

みんなと一緒のこと言っても仕方ねえという考え方だ。


ちょっと長くなりましたが、ここから前述の「〜ことができる」「〜になります」に繋がる。

何かを紹介する時の「こちらになります!」と「こちらです!」。

どちらも意味は同じ。

で、「こちらになります!」という言葉の「ます!」は笑顔で言いやすい。

「ま」の部分で口が大きく開けられるからだ。

「です!」は「で」の部分で口の形が横に伸びるので、笑顔っぽさが少し薄れる。

こういう違いを考えると、適材適所、その場の空気感を伝えるために、どちらの言葉を選べるかが重要だと思う。特に会話では。

多少のブラッシュアップは出来ても、絶対こうだ!という答えはない。

そう考えると、気になるけど、まあ雰囲気に合ってるなら良いんじゃないかなと思う。


そんなことを考えながらテレビを見ている。

楽しくなさそう。

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