何番目の擬宝珠が良い感じなんでしたっけ

京都の嵐山に行った。


昔、通った学校のすぐ近くなので思い出が蘇っておセンチになるかなと思ってたけど、

そういえば学生時代は嵐山=観光地で、人は多いし売ってるものも割高だしという偏った考え方であんまり行かなかった。

なので行ってみるとただただ観光しただけだった。

全国的に有名な渡月橋という橋があるが、

僕にとっては川を挟んで向こう岸に住んでいた友達の家に遊びに行くために渡る橋だったので生活道という印象。


昔、その辺りに住んでいたという話を関西の人にすると、台風で渡月橋周辺が浸水被害を受けた話題がよく出る。

僕はその時にはもう地元に帰っていて、テレビ越しに「うわぁ」としか言ってなかったので、

そんなにその被害について深く思っていたわけではなく、

「そ、そうですねぇ」という言葉しか出てきません。

今回嵐山に行った時も、電車を降りて改札へ向かう最中、観光に来たらしきおばちゃん二人組が

「この辺り大変だったのよねえ、水が」

「水が。水がねえ」

という話を歩きながらしていた。


ぷらぷら歩いて見るとお土産屋が多いだけじゃなく、駅中にビアガーデン的なところがあったり、ちょっと裏道に入るとオシャレなカッフェがあったり、これは学生時代に来ても楽しめたなと思った。

実際僕の周りにいた女子はよく「嵐山のカフェ行ったらぁ」みたいな話をしていたのを思い出した。

当時はサブカル気取りかよクソ馬鹿野郎どもと思っていたが、今ならそんなこと思わずきゃぴきゃぴしながら店に入れるだろう。


色々考えていたら嵐山が、思い出と地元感と関係ない場所感と観光地感が入り混じった、不思議な土地になった。


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