胃袋衰勢記

先日大阪梅田でお酒を飲んだ。

思い返せば大阪で酒を飲んだことがなかった。

学生時代に道頓堀付近にあった食べ放題の店でしこたま食って店の前の広場で吐いたことはあるが、その時はお酒は飲まなかった。

20歳越えて吐くまで食べるって自己管理ゆるゆるも良いとこだなって思う。


今でこそ「やや肥満」としてお医者さんに摂生しろと怒られる人間になってしまったが、

子供の時の僕は痩せ型で、そしてめちゃくちゃご飯を食べるタイプだった。

母親は「痩せの大食い」という言葉の「痩せ」を僕の名前に言い換えて笑っていたが、

それは、別に、普通に面白くなかった。

小学一年生の時、クラスメイトが体調不良か何かで休んだので給食が一人分丸々余った。

残すのはもったいないという話になって僕は立候補して自分の分とその余った分を食べきった。

今考えると給食二人分食べるのは常軌逸してないですかと思う。

「二人分の給食を食べきる俺かっこいい!」という衝動もあったことを覚えている。


小学生の頃って「いかに給食を早く食べるか」ってステータスがあったよね。

そこで形成されるヒエラルキーあったよね。

僕はほぼ毎食上位で食べ終わっていた。給食ランカーだ。

「早く食べる俺かっこいい!」もあるし、昼休みに遊ぶ時間を確保するという目的もあった。

家ではそこまで急いでは食べなかったが、量を食べていたので食後に動けなくなることが多かった。

よく食べ、よく吐く。

当時の食育の限界が見える。


僕が今でも早食い大食いなのは、その頃鍛えられたからだと思う。

エリートである。

社会人になってからは「荒木には肉を食わせれば良い」という風潮が生まれ、

昼飯に社内で焼肉を食べる時は、僕の分だけ別で肉が用意されていた。(ここで言っている焼肉は焼肉定食とかじゃなくて、ホットプレートで焼くやつです。昼飯に社内で焼肉を食べる会社という特殊性は置いといてください。)

給料は上がらないが体脂肪率は上がった。上手いこと言った。


しかしその頃と今を比べると少し食べる量が落ちたように感じる。

まだ年齢のせいにはしたくない年齢ではあるが、しかし前ほどの食欲はわかなくなった。

冒頭で書いた、大阪梅田で飲んだ時もあまり食べなかった。

いや食べて飲んだら吐くからという警戒心もあったのでそうしたんだけど、

以前なら何も考えずばくばく食って飲んで電車で吐いたんだろうなあと思った。

阪急電車阿鼻叫喚だったはずだ。

ある意味阪急電車は大人になった僕に守られたわけだ。

感謝して欲しい。偉い人に。お金とか欲しい。

ただ自分の体の変化を知り、昔とは違うんだと思うと、少しおセンチになっちゃうお年頃である。


0コメント

  • 1000 / 1000