荒木若干

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今日はあと2本ぐらいビール飲みます

犬より猫。猫派である。犬はあれだ。優しすぎる。僕の求めている動物との触れ合いではない。僕はSだ。サディストのSだ。同時に、気に入らなければツンとする、 そういう猫のことを犬よりSっ気のある動物だと思う人もいるかもしれない。違います。かなり違う。天と地。猫は顎を撫でられると気持ちいい。尻尾の付け根をごしごしすると喜ぶ。確かに普段の振る舞いは、見た目的にはSかもしれない。しかしその実、ツボさえ押さえればゴロニャーンである。ゴロニャーンである。大体、SはMをいじめることに快感を覚えると思っている人が多すぎる。Mはいじめられることが好きな人間のことを言う。ここで考えてみてほしい。「やってほしい!」これがMの発言だとする。「やりましょう!」これがSの発言だとしよう。需要と供給が成り立っている。Mはいじめてほしい。Sはいじめる。おかしい。これが、サディストという括りの中で成り立ってはいけない。相手が嫌なことをする、これがSだ。求められて、答える。これは相手を喜ばせることになる。「いじめる」という言葉は、相手の意に削ぐわない何かがあって初めて「いじめる」という意味を持つ、ということだ。「ランチのお店、私、なんでも良い」女が言う。「分かった。じゃあ中華にしよう」「ええ、中華は嫌。洋食が良い」「なんでも良いって言ったじゃん!殺すぞ!くそ女!」こういうカップルの会話があったとしよう。この男がSを自称するなら、そいつはSの風上にも置けない人間である。例えその女がMであってもだ。男が本物のSであれば、「ええ、中華は嫌。洋食が良い」と言われたら返す言葉は「じゃあ家でカップラーメン食おう」である。男が提案したのは中華だった。女はなんでも良いって言った。しかし提案は否定された。男はなんでも良いって言ったじゃん!と返す。提案が否定されて男が怒る。怒ると言うことは何か。プライドが傷つけられたと言うことだ。ここで言うプライドとは、提案した自分の気持ちである。そして傷つけられたとは、提案した自分に対する反抗が気に食わないということである。そこで「なんでも良いって言ったじゃん!」と言う。これは「自分のプライドが傷つけられました!」と宣言しているのと、文脈的に同義である。「傷つけられました!」この発言のどこに「いじめたい」という気持ちがあるのか。そこでしっかり「相手を落胆させるぞ!」そういう気持ちが湧いてくる人間のことをサディストと言う。他にも和食やフランス料理の選択肢があったとしても、自分が外食したいという気持ちがあったとしても、それでも自分から侘しいものを提案する。自分を犠牲にしてでも相手に嫌な思いをさせるのがSである。つまりまとめると猫かわいいということだ。だめだ。酔ってる。結論はまた後日にしよう。

思い出してみよう/虫の知らせ

半分は麦茶でもう半分は麦酒

昔から家の飲み物は麦茶だ。小さい時から冷蔵庫の中には常に麦茶があった。2リットル入る専用のお茶入れはいつも満杯だった。春夏秋冬麦茶。僕の体の半分は麦茶で出来ている。過言ではある。子供の時は炭酸のジュースが嫌いだった。今でもほぼ飲まない。ビールは別。炭酸のしゅわしゅわで舌が痛くなるのが嫌だった。周りの友達はこぞってコーラだスプライトだ買っていたが、僕は基本的になっちゃんとかの果物系ジュースだった。友達が炭酸ジュースを飲んでゲップしているのを理解出来なかった。ビールを飲み始めて、初めて分かった。空気が溜まるのね。ちょっと感動した。うちの子供もあまり炭酸は飲まない。どこのレストランに行っても基本的にはオレンジジュースを頼んでいる。僕もそうだった。母親に連れられて行くモーニングでは必ずオレンジジュースを飲んでいた。血筋を感じる。あのオレンジジュースはなんだか美味かった。母親は公務員だったので土日が休みだった。なので日曜日の朝起きて近くの喫茶店でだらだらすることが多かった。トーストにゆで卵、サラダとスープ。そしてオレンジジュース。徳川陣営も裸足で逃げ出す布陣である。二十歳ごろ、ウーロン茶をバカみたいに飲んでいる時期があった。飲み屋で働いている時だ。その飲み屋のソフトドリンクのお茶がウーロン茶だった。スタッフは基本的に飲み放題だったので、カウンターに立つ4時間毎日ずっと飲んでいた。しかしある日、いつものように飲んでいると強烈な吐き気が襲ってきた。そしてそのままトイレで吐いた。ウーロン茶の味を体が受け付けなくなった。何を言っているのか分からないかもしれないが、それから僕はウーロン茶が脂っこく感じるようになった。喉に感じるものが、なんか重たいの。不思議。今でも、少しの量だったら気にならないが、たくさん飲むとえづいてしまう。人間やりすぎはダメですよ。お茶でも。でもビールはいけちゃう!吐いても飲んじゃう!「もう一生酒飲みたくねえな…」と思ったその日の夕方から飲んじゃう!ちなみに我が家で1番酒を飲むのは僕の母親である。僕はアホの子だと思う。

自宅に乾燥機が欲しいです

今日はコインランドリーに行ってきた。コインランドリーに着くと車が一台路駐していた。中に入るとおじさんが新聞を読みながら洗濯終わりを待っていた。そのおじさんしかいなかったので、どうやら外の路駐はおじさんの車のようだった。しかしおじさんは新聞を読んでいる。一旦家に帰る的なそぶりが見えない。どうやらおじさんは洗濯が終わる約40分路駐するつもりだった。結構な大通りでしかも交差点付近だ。アウトにしか見えない。アウトだろ。肝が座っているなあと思った。そうして僕は用事を済ませ、一旦家に帰った。洗濯が終わった時分になったので取りに行った。ちょうどおじさんの車が出発するタイミングだった。大丈夫だったんですね。よかったですね。正直白い目で見てたよ僕は。こうはなりたくねえなあなんて思いながら洗濯物を持って家に帰った。コインランドリーに行くと「 Laundry」という映画を思い出す。窪塚洋介主演のロードムービー的なやつだ。ちょっと頭の弱い主人公となんか寂しげな女性との淡い恋バナ的なやつでもある。高校生の時にビデオ屋でパッケージを見て借りたが、これがなかなか面白かった。ストーリーはほぼ覚えていないが、なんか良い感じに脱力した話だった。その頃特に窪塚洋介という俳優にはまっていたので、そういう色眼鏡もあったかもしれない。日本映画の傑作はピンポンだと思っています。ちなみに飛ぶ前です。ストーリー覚えてなかったのでネットで検索したけどしたけど、びっくりするぐらいピンと来なかったので、もうほぼ初見で観れるレベルだと思う。良かったんだよ。高校生の心をまさぐる程度には。コインランドリーが舞台の映画だったので、コインランドリーに行くたびその映画の中にいるような気分になる。ちょっと切ないような。人間ってなんだろうって考えちゃうような。人間ってなんだろうね。生きるってなんだろう。実際コインランドリーにいるのはさっきのおじさんみたいな人なんだけどさ。雰囲気出ねえなあ。俺のモラトリアム返せよ。

神は誰しもを平等に見ておられるのです

我が家のトイレは便座が温かくなるやつであるが、時々思い出したかのように温まるのをやめている時がある。ノットホット。トラップです。何も考えず座ってしまうと「ばっ!!!」という声が出る。馬鹿野郎の、ば。しかしこれまで自宅のトイレがウォシュレットだったことがなかったので、この温かくてノズルから水ぶっしゃー出て、なんと脱臭もしてくれる機械は素晴らしい発明品だと思います。便座カバーなんて要らんかったんですね。私、世界の見え方、変わったかも…!風呂には追い炊き機能がついている。蛇口から出るお湯の温度を先に決められるなんて。これも感動した。いちいち水とお湯の配分考えながら蛇口ひねって、適温探っていかなくても良いの。すごい。すごくない?お湯出てたのにいきなり水が出だして、またゆっくりお湯に戻っていくあの現象もない。快適だ。追い炊き機能に関しては風呂嫌いの私なのであんまり使ってないんですが。エアコンっつう機械もすごい。今の家に引っ越して来たら、ついてた。ラッキー。前住んでいた家ではエアコンあったけど古くてほぼ使ってなかった。夏は扇風機二台回してなんとか凌ぎ、冬は小さい電気ストーブの前に家族で群がっていた。この前動物園にいった時、暖房的な器具が置いてある場所に鹿が集まっていた。我が家の冬を思い出した。その点ボタンひとつで部屋中涼しく、暖かくなるエアコンの底力たるや。もはや崇めている。エアコンの取り付け位置的に、神棚に見える。ありがたや。どれもこれも思いついた人、すごい。そうだ!あったかい便座作ろ!ってどうしてそういう思考に辿りついたのだろうか。毎日毎日トイレのこと考えてたんだろうなあ。ありがとうございます。お世話になっております。僕は人間の叡智の中で生きさせていただいている。矮小な存在である僕が、快適な生活を送らせて頂いているのは皆さんのおかげです。なんだか尊い気分になってきた。健やかに。ハレルヤ。祝福せよ。

名前も覚えてないあの子たち

中学三年生の時だったと思うが、親に携帯を買ってもらった。携帯という機械は僕にとっての革命だった。なんせインターネットが出来る。色んな情報を瞬時に把握出来る。すぐに夢中になった。いつ何時片時も携帯を手放さなくなった。ある時、いつのまにか掲示板サイトに飛んでいた。そこでは知らない人同士で仲良く好きなミュージシャンの話をしているかと思えば、他のページに移ると喧嘩上等、口汚く罵詈雑言を浴びせあっていたりした。サイト名は全く覚えていないが、2ちゃんねるではない。その頃は2ちゃんみたいな掲示板サイトが乱立してる時代だったから、多分その派生のどこかだと思う。とにかく僕はそのサイトに入り浸るようになった。そこで僕は真っ黒な歴史を量産することになるんですが、まあそれは置いといて、続けていると多少ネットの友だちみたいな人が出来た。その掲示板では、常に半角カタカナで書き込みをし語尾に絶対「('A`)」という顔文字をつけるやつと、特に仲良くなった。ある日彼がギターを始めると言った。僕はその頃ギターをやっていたので、初心者だった彼に用語解説なんかをした。多分レスポールギターを買ったんだったと思う。彼は練習した曲を携帯で録音して掲示板に貼り付けたりしていた。そこそこ上手くて軽く嫉妬した。そんなこんなで掲示板生活を送っていたが、いつのまにか掲示板サイトを開く回数が減り、そのまま彼とも疎遠になった。掲示板サイトを開かなくなったのは、今度はモバゲーにハマったからだ。僕が経験した一番最初のSNSサイト。掲示板サイトとは違い、ゲームが出来たりアバターの着せ替えが出来たりするので今まで文字だけだった僕にとっては魅力的に映ったのだろう、こちらにもどっぷり浸かった。そうしてまたここでも僕は真っ黒な歴史をこしらえ続けることになるんですが、まあそれは今はいいとして、やはりこちらでも続けていると何人か知り合いが出来た。一番仲良くなったのは女の子だったと思う。名前を全く思い出せない。メンヘラだった。椎名林檎が好きと言っていた。確か関東に住んでいたと思う。あと九州の女の子か。その子のハンドルネームは覚えている。どうやって仲良くなったかは思い出せない。なんか色々あった。書きたくない。「荒木若干」というハンドルネームはその頃から使っているので、相手がネットで名前を見かけたら「うわっ」って思ってるかもしれない。いやバレてもいいけど。悪いことはしてない、と、思う。多分…。僕の相手してくれた良い人でしたよ。結局その2人とか、他にも何人か知り合いはいたけど、今はどこで何をしているのか全く知らない。モバゲーどっぷりからもう10年ぐらい経つが、時々、あいつらは今なにしてんだろうなあと考える。掲示板の彼とか。モバゲーの彼女らとか。会いてえなあとは思わないが、健やかだろうかと、気になる感じ。名前も覚えてないあの子たちは僕のことを覚えているのだろうか。覚えていたのなら、出来れば僕のことを忘れてほしい。僕の真っ黒な歴史を時折思い出して日々の生活を生きていかないでほしい。

彼の白ごはん

日本人はなんで米が好きなんだろう。米は白い。当たり前のことを言った。白色は「寒色」の部類らしい。寒色とは「視覚から寒い印象を与える色」のことを言うそうだ。wikiに書いてた。寒色は他に青や紫がある。寒色の食べ物は食欲が減衰するらしい。外国の青いケーキの画像、昔ネットでよく見かけたなあ。うええ、と思いながら見てた。でもいや待てよと。米は白だ。白は寒色。でもほとんどの日本人は白米の白さを見てうええと思わないはずだ。そう考えると外国の青いケーキというのは外国の人からすれば気にならない、食欲の減衰する色合いではないのかもしれない。ちょっとネットで調べてみた。すると、日本人にとって白と黒は食欲増進の色に入り、外人からすると特に黒い食べ物はうええの部類、という記事を見つけた。ほう。勉強になります。寒色の反対は「暖色」。赤とか黄色とか。これは食べ物屋の看板でよく使われるそう。吉野家とかマックとか、至るところで。暖色は食欲増進の効果がある。ただ、料理の見た目が結構大事な日本人にとっては料理の色合いがまあ重要なだけで、海外では匂いが良いとか味が良いとか、重要視される場所がちょっと違う、的な話があるらしい。ほーん。いや日本人でも匂いと味は大事でしょうよ。自分で調べといてなんだけど。ダメだ。ここまで書いて思った。「日本人はなぜ米が好きか」というテーマは壮大過ぎた。絶対専門家がいて論文発表するレベルの話だ。ネットで拾った知識をひけらかしてこれがワシのブログ記事じゃ!と偉そうな顔が出来る話題ではなかった。すみませんでした。調子乗りました。ここからは僕の白米思い出話をちょっとだけ書きます。僕の実家は米を作っている。なので昔から米はスーパーで買わず、実家から送ってもらっている。学生時代、同級生が僕の家に遊びに来て、夕食を食べることになった。僕は実家の米を炊いて彼に出した。彼は一口食べて言った。「なにこれ!うますぎるやろ!」彼は一人暮らしで、業務用スーパーのめちゃくちゃ安い米を買っているらしかった。実際後日、彼の家に遊びに言った時、我が家の米うますぎ問題に半信半疑だった僕はその米を食べさせてもらった。ひくぐらいまずかった。米粒は小さくべちゃべちゃしていて、ケミカルな味がした。確かに、我が家の圧勝だった。米をまずいと思ったことがなかったのでカルチャーショックだった。彼は我が家の米を食べてからというもの、学校で会うたびにその話をし、さらに周りに言いふらしていた。「荒木んちの米めっちゃうまいから!やばいぞあれ!」周りはきょとんとしていた。僕は妙に恥ずかしかった。そいつとは卒業以来会っていないが、僕が京都へ引っ越してきて、当時の彼を知る友達と、あいつは今何をしてるだろうという話をしている。気の良いやつだった。人の悪口を言うようなやつではなかった。28歳になった彼が、うまい白米を食べられていることを切に願う。

ホームセンターの匂いが好き

疲れているので癒されたい。けど自分がどういう風にされると癒されるか分からない。風呂に入ると癒される人間がいるが、僕は風呂が好きではない。まず服を脱ぐ行為がめんどくさい。服を脱ぐ時間があるなら布団に包まっていたい。布団に包まって好きな動画を見ながらいつのまにか眠りにつきたい。一生布団から出たくない。この気持ち分かる人絶対にいる。大体、なぜ風呂に入らないといけないのか。臭くなるから?うるさい、お前らの鼻腔の感覚に興味はない。ニンニクの匂いが嫌いな奴がいる。パクチーの青臭さが嫌いとか納豆の匂いがダメだとか。すべらかく、それは個人的な匂いの趣味の話であって、僕は別に気にならない。じゃあ風呂に入ってない奴の匂いは?以前、探偵ナイトスクープで汗臭い匂いが好きな男性が汗臭さを思う存分味わう企画を放送していた。つまりそういう匂いが好きな人間がいる。ある一方から見ての間違いは、ある一方から見ると正解だったりする。じゃあ、いいじゃん。いいじゃん?僕がこの世で一番嫌いな匂いは生ゴミの匂いだが、生ゴミの匂いがする人間はなかなかいない。昔実家で牛を飼っていたので、そういう家畜臭も別に気にならない。そういう経験もあるので、僕は臭さに強い方だと思う。僕の鼻腔を超える輩には出会えていない。ただこの歳になって、朝起きた瞬間「くっせ!!!!!!!」と思うことがある。枕の匂いだ。時々自分でもびっくりするぐらい臭い。目が覚める。生ゴミの匂いではないが、なんかこうすえた匂いというか、臭さをぎゅっと手で結んだおにぎりみたいな、なんというか、とにかくびっくりする。どう表現したら分かりやすいか。お腹いっぱいなのに目の前にステーキが置かれた、というか。ダイエットしてるって言いながら菓子食べてる奴、というか。充電されてない電動自転車に乗った時、というか。どうしたって分かりにくかったが、つまりそういうびっくりの話をしている。歳かな。風呂かな。とかく、僕は風呂に対して必要性を感じていない。いや入ってるけどね。なぜ入っているかというと、それは一点、子どもに「お父さん、臭い!」と言われることを避けたいだけである。そのために、努力として、風呂に入る。決して癒されない。努力しないといけないことが僕は嫌いだ。

閻魔(酔っ払い)

死んだ後、閻魔大王が目の前に出てきたとして、自分はどんな話をするのだろうか。閻魔大王は嘘をついた人間の舌を引っこ抜くらしい。いやでも嘘をついた記憶なんてないぞ。僕は潔白だ。嘘は記憶に残らないと思う。どういう形であれ、嘘は取り繕うものだ。それ以上それ以下でもなく、自分の中の整合性だけ求めて発言する。嘘は「正しさ」という感情、「正しさ」という自分に対する整合性にだけ重きを置かれた、とても画一的な発想だ。嘘が上手な人がいる。嘘が上手な人はまず納得できる理由を用意してくる。「今日は鯖の煮付けを食べた」これは僕の嘘だ。僕は今日サンドイッチしか食べてない。「日曜日にテレビで鯖漁の特集やってたからそれからずっと鯖食べたかったんすよ。やっと今日食えましたわ。大根おろしはめんどくさいんでやってないです。」これももちろん嘘である。しかしぱっと見、上と比べると鯖を食べたことだけが嘘に見えるが、この発言の中には嘘が3つある。「日曜日にテレビで鯖漁の特集やってたからそれからずっと鯖食べたかったんすよ。」日曜は世界の果てまでイッテQ!を観ていた。鯖は出てこなかった。「やっと今日食えましたわ。」前述の通り、食べてない。「大根おろしはめんどくさいんでやってないです。」別に大根をおろすのは苦じゃない。料理をおいしく食べるための作業である。こういう風に準備出来る理由をあれこれを、上手な人は上手に用意できる。上手にね。上手というのは自然に出来るということであり、自然に嘘が出てくるというのは考えなくても嘘が出てくる状態を指し、つまり嘘はなんとなくでも言えるものである。つまり今なんとなく「嘘ついとこ!」と思えば、嘘はつける。しかしその時だけしか考えてない、自分の思いとは関係ないものなのであれば、別に「この時ああ言ったなあ」なんて思う必要はなく、その程度の感情でなので、心に止めることもなく、そうすると記憶には残らない。深く考えているわけではないからね。その時その時を乗り越えたいがためだけに言葉が出てくるというのが嘘である。正しくありたい、ではなく、正しい!正しいだろこの話!という独善感だけで嘘は成り立つ。そういう人間にはなりたくないなあとは思うけど、どんな内容か覚えてないだけで嘘はついたことあるし、閻魔大王になんて嘘つこうかなって考えてしまっている。

わりと可愛い顔をしている

ママチャリはすごい。移動手段としてはもちろん、荷物を運ぶ手段としてもかなり優秀である。我が家の必須ツールだ。最近、後ろにつけている子供用椅子にも荷物を置けることが判明した。そのおかげでママチャリの株がまたぐんと上がった。ヤマハ、ホンダ、カワサキ、ママチャリ。遜色ない。昔住んでいた家は坂の一番上にあった。小学校へ上がるタイミングでその家に引っ越した。保育園児の頃から自転車に乗ってぶいぶい言わせていた僕だが、引っ越し先のその場所は山を削って出来た住宅地で、小学校低学年の筋力では一思いに登り切ることが難しい坂がたくさんあった。ある日僕が坂道を歩いて下っていると、不意に学ラン中学生が自転車で横を通り抜け、サァーッと坂を降りていった。僕は目を疑った。「あの人ハンドルから両手放してた!!」その日から特訓が始まった。とは言っても、いきなり急な坂道で両手放しのまま位置エネルギーに全てを任せ降りていくアクロバットが出来る訳もなく、広くて車もあまり来ない平地の道路で練習した。最初はふらふらしていたが、徐々に徐々に両手を放せる距離が伸びていった。いつの日か!という思いがあった。しかしある日、僕はケガをした。下校の最中、件の両手放し坂道を登っている時だった。その坂は下から見ると左に大きくカーブしていて、カーブの内側は段々に田んぼが並んでいた。僕はふざけて田んぼのあぜ道に移り、自転車を押しながら帰っていた。坂道と田んぼの間は深めの溝で仕切られていた。溝は時々人が通る用のコンクリートブロックがあるだけで、カバーも何もない状態だった。これ以上は行き止まりで進めないというところまで来て、僕はブロックを渡って道に戻ろうとした。しかしあぜ道の雑草でタイヤがずりっと滑った。ハンドルを握りしめたまま僕は、自転車に引っ張られる形で溝に落ちてしまった。しかも運がないことに、ブロックぎりぎりで滑り落ちてしまったため、ブロックの上面で顎を強打した。ボクシングのアッパーパンチを想像してほしい。一緒に帰っていた友達が引っ張り上げてくれ、僕は痛さや情けなさで泣きながら帰宅した。血が出ていることは分かっていたので、テッシュで顎を抑えた。しかしいくらテッシュを使っても血は止まらなかった。そのうち母親が帰ってきたので泣きながら事情を説明した。血が止まらないのを見て、母親は僕を病院へ連れて行った。結果、9針縫うことになった。それから僕はその坂道が嫌いになった。のんびり下るようになった。坂を通るたびに顎が痛くなる、気がした。その頃の学校での集合写真を見ると、僕の顎には厚めのガーゼが貼られている。せっかくなのでアルバムを引っ張り出してきた。